ŠKODA
シュコダ

シュコダ・オートは、チェコ最大手の自動車メーカーです。同社はムラダー・ボレスラフを本拠地とし、その生産工場はムラダー・ボレスラフとクバシニ、ヴルフラビーにあります。1991年以来、同社はフォルクスワーゲングループの傘下となっています。

Václav LAURIN
ヴァーツラフラウリン

Václav
KLEMENT
ヴァーツラフ・クレメント

同社の創業ヴァーツラフ・ラウリンとヴァーツラフ・クレメント 写真提供:NTM

同社の歴史は、書籍商のヴァーツラフ・クレメント(1868年~1938年)と機械ヴァーツラフ・ラウリンがムラダー・ボレスラフに修理と生産を行う自転車工房を開いた、1895年末に始まりました。わずか10年で、この工房は、オーストリアハンガリー帝国全体で最も重要なオートバイ工場に成長しました。最初の自動車は、ラウリン&クレメント社から1906年に発売されました。

それは2気筒V型ツインエンジンを搭載した小型自動車(ヴォワテュレット)でしたが、その販売は急速に拡大し、その年の終わりまでにラウリン&クレメントは、4種類の乗用車と1種類のトラックを市場に出すようになりました。この工場は、帝国で最も重要な自動車メーカーの1つになりました。そのトラックと乗用車は、あらゆるカテゴリーにおいて非常に幅広い種類で生産され、外国での販売も大成功を収めました。

速度55~60km/hのラウリン&クレメントF型。この車種は全部で371 台生産されました。 写真提供:NTM

 

敬意を表される名誉ある顧客の中には、チェコやオーストリアの有力貴族、重要省庁や国家機関の代表者のみならず、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世もいました。 写真提供:NTM
ラウリン&クレメントのリーフレットに掲載された同社のRK車のレタッチ写真、1913年 写真提供:NTM

事業の順調な発展を妨げたのは、第一次世界大戦でした。1920年代初頭、新しく設立されたチェコスロバキア共和国で自動車産業は危機に瀕していました。国内は戦争によって経済的に疲弊し、戦前の国内市場は君主制の崩壊に伴って急激に縮小し、対外貿易関係は断絶してしまいました。この分野の発展は、自動車が高級品とみなされるため非常に高い税率の対象となるという事実によっても、著しく妨げられました。ムラダー・ボレスラフでは、この危機が原因で最終的にオーナーとブランドの変更に至りました。ラウリン&クレメントの工場は、1925年にシュコダの部となりました。

シュコダのロゴ 画像提供:シュコダ・オート
シュコダのロゴ 画像提供:シュコダ・オート

この自動車メーカーが最も著名な国内産業大手2社のうち1社の傘下に入ったという事実は、大きな利点であることがすぐに判明しました。1920年代後半には、この工場に多額の投資が行われました。連続生産が実施され、1929年~1930年にかけてシュコダの乗用車のシリーズが徐々に生産に投入されるようになりました。このシリーズは、4気筒の小型車シュコダ422から8気筒の大型高級シュコダ860まで、市場のセグメントをカバーしていました。これらの自動車は信頼性があり高品質でしたが、構造的にはあまりダイナミックでも進歩的でもありませんでした。

本格的な世代交代は、1934年~1936年に徐々に生産に投入された乗用車のシリーズシュコダ・ポプラル(Škoda Popular)、シュコダ・ラピッド(Škoda Rapid)、シュコダ・ファヴォリット(Škoda Favorit)、そしてシュコダ・スペルブ(Škoda Superb)によってもたらされました。フロントエンジンと後輪駆動はシリーズと変わりませんでしたが、シリーズにはバックボーンシャーシと独立した全輪サスペンションがありました。小型で1リットルのポプラルはベストセラーでした。ポプラルは、ひとまわり大きなラピッドと共に、1930年代後半にシュコダブランドを国内市場トップに押し上げました。シュコダは今日までこの地位を維持しています。

世界大戦による中断を経て、この国有化された自動車工場は、40年以上にわたって共産主義主導の計画経済の犠牲者となりました。この年月は間違いなく停滞の年でした。戦争直後には既に、工場での生産は戦前のシュコダ・ポプラルをもとに作られた小型乗用1種に限定されていて、1960年代半ばまではそれに多少の変更を加えたものが生産されていました。「大衆の」自動車とされたのは、1956年に生産開始されたシュコダ・スパルタック(Škoda Spartak)ですが、後に、その性能を向上させたシュコダ・オクタビア(Škoda Octavia)に取って代わられました。シュコダ・フェリツィア(Škoda Felicia)は、1957年から1964年の間に生産された、スタイリッシュかつ成功を収めたロードスターでした。1964年4月には、一体型ボディと独自のアルミリアエンジンを装備し、軽量かつ広々とした新車シュコダ100MBが投入されました(シュコダ100MBは、アルミニウムダイカストで製造されたエンジンブロックを装備した世界初の自動車でした)。

さらなる開発によって目指したのは、1000/1100MBモデルを新しいシュコダ100/110へと近代することでした。1960年代から1970年代にかけて、全く新しい車種の開発により、シュコダ720と740が生まれました。これらは、有名西欧自動車メーカーの製品と競合できる、現代かつ時代を超越した自動車でした。ですが、政治的・経済理由から、残されたのは試作品のみです。1976年にはシュコダ105/120が道路を走るようになりました。これらの自動車が、世界の自動車生産における一流の製品でなかったのは確かです。外国では、これらが許されないような嘲笑を受けることさえありました。1987年には、現代的なシュコダ・ファヴォリットの生産が開始されました。1989年以降の民主主義と市場経済の復活は、すぐさま国内における自動車のイメージを変えました。繁栄の勢いで自動車の台数は増え、チェコは世界の自動車メーカーの大半にとって標準市場となり、そのうちいくつかのメーカーは、独自の生産ラインを構築しさえもしました。

ムラダー・ボレスラフにあるシュコダ・オート・ワークスの航空写真***写真:ズデニェク・フィードレル

ムラダー・ボレスラフにあるシュコダ・オート・ワークスの航空写真 写真:ズデニェク・フィードレル

シュコダ(1991以降、多国籍企業のフォルクスワーゲングループ傘下)は、めざましい拡大を達成し、国内で最も成功した産業界の企業となっています。シュコダ社の自動車は国内市場での人気を失ったことはなく、良質であるため、すぐに外国市場で再び開花しました。現在Škodaには、小型アーバンカーのシュコダ・シティーゴー(Škoda Citigo)から、チェコ共和国大統領さえも使用しているリムジン、シュコダ・スペルブまで、合計7モデルシリーズの乗用車の非常に幅広い生産プログラムがあります。それらはムラダー・ボレスラフをはじめとした国内の支工場だけでなく、外国に新しく建設された工場でも生産されています。

シュコダ・フェリツィア、1960年代初 写真提供:NTM
シュコダのロゴ 画像提供:シュコダ・オート
シュコダ・フェリツィア、1960年代初 写真提供:NTM

シュコダ130RS

戦後チェコスロバキアで最も成功を収めたスポーツカーであるシュコダ130RSは、1970年代半ばの110Rシリーズのクーペに由来するものでした。この自動車は、最高難度のヨーロッパのレース場で勝利しました。

シュコダ130RS 写真提供:NTM
シュコダのロゴ 画像提供:シュコダ・オート
シュコダ・オクタビアRS 写真提供:シュコダ・オート

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