OTTO WICHTERLE
オットー・ヴィヒテルレ

レンズとオットー・ヴィヒテルレ 写真提供:科学アカデミー(MÚA)

「レンズマシーン」‐簡易なコンタクトレンズ製造装置

オットー・ヴィヒテルレ教授(1913年~1998年)は、国内外で優れたチェコの科学として認められています。彼の専門分野は有機高分子化学でした。

オットー・ヴィヒテルレ 写真提供:科学アカデミー(MÚA)

 

オットー・ヴィヒテルレは、親水ゲルの合成により、目にはめるのに適した材料を見つけました。化学ドラホスラフ・リーム(Drahoslav Lím)と共に、透明なヒドロゲルポリ(メタクリル酸2-ヒドロキシエチル)を調製しました。このヒドロゲルから、ヴィヒテルレはソフトコンタクトレンズを製造することができましたが、これは当時使用されていたハードコンタクトレンズよりも多くの利点を持つものでした。

ヒドロゲルポリ(メタクリル2-ヒドロキシエチル) 写真提供:科学アカデミー(MÚA)

ヒドロゲルとコンタクトレンズ

ソフトコンタクトレンズの製造が可能なポリマーであるヒドロゲルによって、ヴィヒテルレは世界的に認知されるようになりました。ヒドロゲルとは、一定の平衡度まで水を受けることが可能な架橋ポリマーのことです。ヒドロゲルは、その特徴によって生体組織に似ているので、様々な医療用途に適しています。膨張した状態で柔軟性と強さを保持します。

コンタクトレンズ 写真提供:科学アカデミー(MÚA)

 

レンズマシーン

国立技術博物(NTM)コレクション所蔵のレンズマシーンの試作品 写真提供:NTM 写真:カテジナ・ウクソヴァー

 

 

1961年のクリスマス、彼は息子の組み立ておもちゃキット(メルクル社の「Meccano(メカノ)」)でレンズ製造機を作り、それを「レンズマシーン」と呼びました。この装置は、自転車発電機によって動力を与えられ、ドアベル変圧器に接続されるものでした。モノマー混合物から、回転形態で液体メニスカス(その後のレンズの形状)が形成され、それが重合により固定されて、非常に薄い縁を持つ生成物になるのです。今日、コンタクトレンズ製造は巨大産業であり、コンタクトレンズは人の人々にとって一般消費財となっています。

オットー・ヴィヒテルレ 写真提供:科学アカデミー(MÚA)

1962年に初めて成形された百万枚のレンズの一部が入った瓶、NTMコレクションで発見 写真提供:NTM 写真:カテジナ・ウクソヴァー

1990~1992年に、オットー・ヴィヒテルレはチェコスロバキア科学アカデミー(CSAV)の会長を務めました。ヴァーツラフ・ハヴェル大統領との会合、1991 写真提供:科学アカデミー(MÚA)

 

 

ヴィヒテルレのソフトコンタクトレンズの発明は画期的でした。経験豊富な専門家であっても、一見しただけではレンズがどこにあるのか発見できませんでした。当時の専門家は、ソフトコンタクトレンズの特徴を劇的に見せられるとしばしば煙に巻かれた様子になったので、教授は喜んで頻繁にこのパフォーマンスをしていました(実際、アメリカのライセンスパートナーもこのパフォーマンスに驚いていました)。ヴィヒテルレはたいてい目からレンズを取り出し、地面に放ってから靴底で踏みつけ、それを地面から拾って機械で洗い、口に入れてきれいにしてから、損傷のないそのレンズを目の中に戻しました。現代のコンタクトレンズも同様に魅力的な特徴を持っていますが、このようにテストすることはおすすめできません。ですが、ソフトコンタクトレンズの生産は、『レンズマシーン』の時代から大きく進歩しています。

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